スーパートロ

成人の日（一月十五日）は午後から雨という予報だったが、降りそうで降らぬまま日が暮れた。釣果はセイゴ十匹とアイナメ・カレイが少々。海は霧が立ち込め視界が極端に悪かった。艇のコンパスをにらんで船首を二百十 度方向へ保ち、スローで沖へ向かったが、あまりの霧の濃さに途中で反転してまた岸辺へ戻った。二百十 度で出たのだから、戻るには二百十 度から百八十 度を差し引いた三十度の方向へ航行すると元の位置のはずである。

と、突然目の前にコンクリート護岸が立ちはだかった。

濃霧の中、目隠し状態で十数分も沖へ向かった後では、コンパスだけで元の場所へ戻るなど不可能なのだ。霧のカーテンがバサッと落ちると巨大な壁（護岸）に衝突寸前。再度護岸を離れ、二百 メーター程沖合でアンカーを打ち、船尾に竿を四本並べて魚のあたりを待った。潮は若潮。トロリとした潮行きで釣り辛かった。乳白色の霧の中、ボォーボォーとさかんに他船の汽笛が聞こえていた。海は油を流したようなベタ凪(なぎ)。濃霧のため空模様はわからぬが、雲間からときおり陽が射して周囲が明るくなったり暗くなったり。どうやら霧は海面に低く漂っているらしかった。

◇ ◇ ◇

女房が、夕食用にブリのアラを買ってきた。見るとたくさん身が付いている。よほど荒っぽく魚をさばいたのであろう、腹(はら)べ（腹部のアラ）からサシミが皿一杯分とれた。新年早々良いことを発見した。トロが食いたくなったら、スーパーのアラを買えばよい。値は一パック三百八十 円。頭部はダメだ。腹べの身がしっかり付いているのが良い。サシミを取った後のアラは、もちろんアラ煮にする。アラアラ煮だ。酒はビールより、熱燗がよい。トロを肴に酒を飲む。豪勢ですなぁ。自分で釣ったカレイやアイナメのサシミも美味しいが、スーパーのアラトロも捨てたものではございません。

なんですと？　釣り師の風上にも置けぬやつだとおっしゃるか？　

そう堅い事を言うこと言ワイでもええ。

アラを釣ってサシミに造ったと思えばよろしいではありませんか。エサ代三百八十 円。サシ味はスーパートロ。ハイ、御馳走でございます。

◇ ◇ ◇

昨年の暮れからハイシャ（歯科医院）へ通っている。だが、歯医者の素顔はまだ一度も見たことがない。診察台で天井へ向けて大口を開け、上から覗く先生のマスク顔を見てはいるが、緊張しきっているからまるで拝顔した実感がない。

「ハイ口を開けて」だとか、「少し痛いですよ」だとか、先生はボソボソ言われるのが、私に向かって言っているのか、歯に向かって言っているのか、釈然としない。もし、街でこの歯医者先生に出会っても、私はきっと気がつかないだろう。でも歯医者の方は、「アッ、あの歯が歩いているぞ」なんて思うのではないか。

今日は、歯医者ではなく市民病院の眼科へ行ってきた。朝八時に初診受け付けを済ませ、ずいぶんたくさん検査した後、待ちに待って午後のニ時。

若い目医者が言った。

「で、どうしました？」

「えっ！見えにくいから、目が疲れて困るし…」と私。

「歳(とし)ですね。もう若い人にまかせたら」と目医者。

「はぁ？」と私。

「度が進んでますね。パチンコしますか？あっそう、しないの。仕事は若い人にまかせたら」

目医者は、私のことを、お金持ちの会社の重役か神経質な上役とでも思ったらしかった。それって、おメガネ違いじゃないかい。医者は説教しつつメガネの処方箋を書いた。

病院からの帰路途中処方箋を持ってメガネ屋へ立ち寄った。メガネ縁をあれこれ選び、手頃な値のメガネ縁を掛けて横のカガミを覗いたら、歯痛のためか右頬のはれたおっさんが私を見ていた。